訪問販売員の周到な手口とは

訪問販売を生業にしている事業者であれば、その手法が現代にそぐわないことを自覚しています。ですから、煙たがられることなどは日常茶飯事のこととして、それを仕事として続けているのです。

訪問販売自体が社会的に「悪」であるわけではないのですし、その手口では不快になる人が多いというだけなのですが、「訪販」というだけで一気に世間の印象は悪くなるというものです。それでもそれを事業推進のための手段として継続しているその事業者も、それに従事する営業マンも、その仕事に対しての利害が一致しているということになるでしょう。ですから、そう簡単にはその仕事はなくならないのです。訪販自体は、規制されることなく続けられています。その営業によって玄関先で迷惑だと感じる人がいる一方、そのセールスで成約している人もいるので、ビジネスとして成り立っているということになるのです。

営業マンは得てして精神的に鍛えられているものです。「営業」という仕事は、そのほとんどがコミュニケーションです。人とコミュニケーションをとるということには、多大なエネルギーが必要です。ましてやそれまで話したこともない相手とコミュニケーションをとり、思惑通りに成約させなければならないとなれば、その仕事は精神的に重労働でしょう。訪問販売に従事する人は、それを生業とする人は、それでも「平気」だから続けているのです。

相手とコミュニケーションをとり、期待している成果を上げること、会社から課せられている責任数字を満たすことに、躍起になっているのです。そして、それを生業として実際に糧を得ているのですから、プロの訪問販売員として成果を上げ続けている人も多いのです。

こちらが不快に感じても、感じなくても、「成約」すれば営業マンとしては「成功」です。訪問先の相手を怒らせてクレームを誘発するよりは、何事もなくビジネスとしての成果を上げる方がいいに決まっているのです。ですから、「できる営業マン」は相手を不快にさせないという特徴を持っています。

それが訪問販売のもっとも優れた手口です。

短時間で訪問先の相手と懇意になり、こちらの言葉を信用させた上で、狙い通り成約させる。しかも、相手は「自分の意思で」決めて買っている。そのような状態を作り上げることができるのがプロです。そこには余計なクレームなどはありません。購入した人はむしろ、「来てくれて良かった」とさえ感じているほどです。

そのような「訪販の天才」のような人がいる限り、その営業スタイルはなくなりません。そして、そのようなプロがいる中で、相手を不快にさせてしまうような営業マンもたくさん存在するのです。そのような人が世の中に訪販に対する胡散臭さを根付かせています。

本当に巧みな営業マンは、相手を怒らせません。むしろ喜ばせるという特徴を持っています。それは相手の精神を見透かした「トーク」で成立していることでもあります。訪問販売の極意は、「トーク」なのです。

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